2014年 02月 19日
「被遺忘與仍然等待的動物們」 |
太田康介氏の「被遺忘與仍然等待的動物們」写真展がセントラルのFringe Clubであった。
日曜日にお友達と行ったら、Fringeのギャラリーは日曜はお休みだったのね・・・
最終日、なんとか行けてよかった・・・
真剣に説明文も見る人たち
ご著書についてはご存じな方が多いと思う。
私もお友達が送ってくれたので、両方とも拝見した。
台湾では確か去年だったかしら?本も中文にされて、今回は香港での展示と
ミニトークショーが。
トークショーの日は残念ながらボランティアだったので行けず。でも写真を見ると
老若男女たくさんの人が来場していたようである。
忘れられない出来事。
そして、一番悲しいことはこのことは過去の終わったことではないということ。
それは今も続いていて、またいつどこで起こるかわからないことであるということ。
今もまだつながれた子たちがいる・・・さまよっている子たちがいる。
ビデオコーナー
何分くらいあるのかな?
十数分くらいなのか?
立ちながらであるのに、みんな足をとめて真剣に見入っていた。
ティッシュで眼をおさえる人、鼻をすする人・・・・・
反核。
もちろんたくさんの人が被害、犠牲にあった。
でも、人間だけでなく、人のために犠牲になった動物たちもいるということを
知らせるこの写真展。
自然災害があるたびに思うこと。
動物たちはどうなっているのか?
今回の大雪でもそう・・・・・・
どこかでは、積雪で崩れた牛舎の下敷きになって乳牛たちが死んだ。
福島の区域では、ボランティアさんも入れないほどの大雪で、残された動物たち、
つながれた動物たちは1週間も食事を口にしていない。
これでもか、どうだ!と残酷さを煽る写真ではない。
心の奥底に、大切な何かにズーンとくる・・・
無力感、罪悪感、人として生きていくことの罪深さ。
けれど私も成長した。強くなった。
そうした思いのあとに・・・・・
感謝の心が芽生える。それは私に日頃のちっぽけな愚痴や不平不満を取り除いてくれる。
「何を文句言うことがある?こんなに恵まれていながら」
少なくとも、表面上は私は他者から命をコントロールされてはいない。
行きたいところに行け、したいことをできる。
健康な体がある。
動物愛護という言葉はちょっとおまけをつけられちゃっててあまり好きな言葉ではない。
それはわざわざ言うまでもなく、人としてあたりまえにあるものだと思うから。
何かをしたいけど、でもどうしていいかわからないという相談をよく受ける。
何も大きなことをしようとしなくていい。
まずは今自分にできることを「今」すること。
そして、強くなること。
私が嘆いても、私が怒り狂っても、それは今助けを求めているものたちには
何も役に立たないということ。
見ないことにするということは、自分が見たくない残酷な現実、行為を黙認するということと同じ。
恐れないこと。
そして笑顔を絶やさないようにすること。
自分が望むことはなになのかしっかりといつも心に刻むこと。
「この子たちのしあわせ」、そう思うのならば、ないものに焦点を合わせそれを嘆くのではなく
そうあるためにどうしたらいいのかを考え、行動していくこと。
サイトの里親情報をシェアすることだって、どこで縁がつながるかわからない。
日常でできることはほんとうにたくさんある。
この出来事からベジ、ヴィーガンになった人もけっこういる。
すべての問題はつながっているのだ・・ということに気づいた人たち。
今回改めて思ったのは、
すべてはつながっているのだという意識、それが広がると
Speciesism~種差別もなくなるのにねということ。
〇〇は助けるけれど、△△は駆除する・・・という考えには・・・私にはどうしても
受け入れられない。
どの子にも生きる権利があるもの。
それにその考えは、動物のためには何もしてはくれない政府とどこが違うのだろうとも思う。
人は助けるけど、動物に関しては不問ということと何が違うのか?
(人の救助に対しても完璧だったわけではないが)
全部を助けろという意味ではない。〇〇を助けたい、それは問題ないの。
ただ、そのために他の命を軽んじていいというわけではない・・ということ・・・
そうしたことも含めて、やっぱり日々これ修行ということ。
修行、それは考えるだけでなく「行う」ということ。
信仰とは「信行」。
日々の思考、言葉、行動、これはとても大切。
ごろつく黄黄ちゃん
甘えを装いながら、実はあちこちでめくそはなくそぐりぐりぐり
母上、また寒くなってきましたねぇぇぇ
ほんとにね、黄黄ちゃん
また一桁温度に逆戻りの香港・・・・
みなさま、体調などにはお気をつけくださいませ。
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日曜日にお友達と行ったら、Fringeのギャラリーは日曜はお休みだったのね・・・
最終日、なんとか行けてよかった・・・
真剣に説明文も見る人たち
ご著書についてはご存じな方が多いと思う。
私もお友達が送ってくれたので、両方とも拝見した。
台湾では確か去年だったかしら?本も中文にされて、今回は香港での展示と
ミニトークショーが。
トークショーの日は残念ながらボランティアだったので行けず。でも写真を見ると
老若男女たくさんの人が来場していたようである。
忘れられない出来事。
そして、一番悲しいことはこのことは過去の終わったことではないということ。
それは今も続いていて、またいつどこで起こるかわからないことであるということ。
今もまだつながれた子たちがいる・・・さまよっている子たちがいる。
ビデオコーナー
何分くらいあるのかな?
十数分くらいなのか?
立ちながらであるのに、みんな足をとめて真剣に見入っていた。
ティッシュで眼をおさえる人、鼻をすする人・・・・・
反核。
もちろんたくさんの人が被害、犠牲にあった。
でも、人間だけでなく、人のために犠牲になった動物たちもいるということを
知らせるこの写真展。
自然災害があるたびに思うこと。
動物たちはどうなっているのか?
今回の大雪でもそう・・・・・・
どこかでは、積雪で崩れた牛舎の下敷きになって乳牛たちが死んだ。
福島の区域では、ボランティアさんも入れないほどの大雪で、残された動物たち、
つながれた動物たちは1週間も食事を口にしていない。
これでもか、どうだ!と残酷さを煽る写真ではない。
心の奥底に、大切な何かにズーンとくる・・・
無力感、罪悪感、人として生きていくことの罪深さ。
けれど私も成長した。強くなった。
そうした思いのあとに・・・・・
感謝の心が芽生える。それは私に日頃のちっぽけな愚痴や不平不満を取り除いてくれる。
「何を文句言うことがある?こんなに恵まれていながら」
少なくとも、表面上は私は他者から命をコントロールされてはいない。
行きたいところに行け、したいことをできる。
健康な体がある。
動物愛護という言葉はちょっとおまけをつけられちゃっててあまり好きな言葉ではない。
それはわざわざ言うまでもなく、人としてあたりまえにあるものだと思うから。
何かをしたいけど、でもどうしていいかわからないという相談をよく受ける。
何も大きなことをしようとしなくていい。
まずは今自分にできることを「今」すること。
そして、強くなること。
私が嘆いても、私が怒り狂っても、それは今助けを求めているものたちには
何も役に立たないということ。
見ないことにするということは、自分が見たくない残酷な現実、行為を黙認するということと同じ。
恐れないこと。
そして笑顔を絶やさないようにすること。
自分が望むことはなになのかしっかりといつも心に刻むこと。
「この子たちのしあわせ」、そう思うのならば、ないものに焦点を合わせそれを嘆くのではなく
そうあるためにどうしたらいいのかを考え、行動していくこと。
サイトの里親情報をシェアすることだって、どこで縁がつながるかわからない。
日常でできることはほんとうにたくさんある。
この出来事からベジ、ヴィーガンになった人もけっこういる。
すべての問題はつながっているのだ・・ということに気づいた人たち。
今回改めて思ったのは、
すべてはつながっているのだという意識、それが広がると
Speciesism~種差別もなくなるのにねということ。
〇〇は助けるけれど、△△は駆除する・・・という考えには・・・私にはどうしても
受け入れられない。
どの子にも生きる権利があるもの。
それにその考えは、動物のためには何もしてはくれない政府とどこが違うのだろうとも思う。
人は助けるけど、動物に関しては不問ということと何が違うのか?
(人の救助に対しても完璧だったわけではないが)
全部を助けろという意味ではない。〇〇を助けたい、それは問題ないの。
ただ、そのために他の命を軽んじていいというわけではない・・ということ・・・
そうしたことも含めて、やっぱり日々これ修行ということ。
修行、それは考えるだけでなく「行う」ということ。
信仰とは「信行」。
日々の思考、言葉、行動、これはとても大切。
ごろつく黄黄ちゃん
甘えを装いながら、実はあちこちでめくそはなくそぐりぐりぐり
母上、また寒くなってきましたねぇぇぇ
ほんとにね、黄黄ちゃん
また一桁温度に逆戻りの香港・・・・
みなさま、体調などにはお気をつけくださいませ。
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by compawsion
| 2014-02-19 16:14